玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

Gの閃光とカラーリング バイ G-レコの比較

 端的に言うと閃光は短く一瞬の一色で、カラーリングはもっと長くいろいろな色彩がある。
 本来、この記事は「カラーリングバイG-レコ」を初めて聞いた日か第四部公開後にすぐさま書くべきだったのだが、僕は僕で金策やら庭仕事に追われて申し訳ない。


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 聞いたうわさ話によるとGの閃光の歌詞のまま、劇場版用に新曲を書いてほしいと富野監督が菅野祐悟さんに依頼したとか。いや歌詞そのままで曲だけ変えるとか無茶苦茶言うな。アレンジ曲ではなく新曲?


 そんなこんなで「Gの閃光」の歌詞やメロディーと部分的に共通する別の曲として「カラーリング バイ G‐レコ」ができたわけですが。


 僕はテレビ版の放送前にGの閃光が配信販売されたときにその歌詞を考えてみた記事を書いたけど。


nuryouguda.hatenablog.com


 聖書の創世記のようなニュアンスもあるなあと思った。やはり、「はじまりのG」というわけで、はじめの一歩を踏み出す前の歌という感じです。はじめに光があり、神様が大地を作って良しとして歩いていくという。
 とりあえず元気なら、はじめてみようと奮起するかんじ。


 テレビ版の72歳当時の富野監督としても、しばらくアニメ制作の現場から遠ざかっていたので、スタートを切るというところに力点を置くというか、気負っていたところもあるんじゃないかと。
 宇宙世紀をリギルド、再メッキしていこうという、リスタートの気持ち。


 リアルは地獄だけど、そこからプライドとサクセスをつかむために「今がその時だ!」と踏み出す感じ。


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 それに比べて「カラーリング バイ G-レコ」は、ステップを軽く踏んで、その一歩一歩を数えるので、スタートを切る一瞬ではなくスタートを切ったあとに進んでいる感覚だ。
 Gのレコンギスタの劇場版の絵コンテは2017年にはもう完成していたらしいけど、「カラーリングバイG-レコ」の歌詞がいつできたのかはよくわからないが。まあ、テレビ版がアニメ制作のリスタートだったとすると、劇場版はリペイント(キャピタル・タワーのナットやキャラクター描写の掘り下げなど)なので、そういう意味でもカラーリングなんだろう。



 また、「Gの閃光」は「光あれ」と言って世界を作った神の創世期に似ているのだが、それはあくまで大地を決めて立ってみて歩いて、という「地球上の神」に過ぎない。というと、ドラゴンボールZっぽいのだが。歌詞の一番でステップを踏んでいったら、宇宙に出ていく。


 「カラーリング バイ G-レコ」の2番で、地球から外に出た無限の宇宙では、ぼくもマシン(地球の神による創造物=ドリカムのGにおけるGreatest Gear、つまり地球)も人の命も矮小なのだってなる。ドリームズ・カム・トゥルーさんが「グレーテスト・ギア」といった地球を「いや、それも矮小だ」と言う富野監督の意地っ張りっぽさが見える。イデオンとか作る人でもあるし。


 無限で無で冷徹な宇宙ではプライドもサクセスも手ごたえもないし、はじまりのGも無効だけど。
 むしろだからこそ、そこで諦めるんじゃなくて、今はないプライドを求めて銀河の一つ一つを数えて認識することで、地球上の世界に閉じ込められていた人が銀河へ向かってGのレコンギスタをできるんだ!おおおー!ってなる。


 「Gの閃光」はスタートの一瞬で、地球の創世記のようなかんじだったけど、「カラーリング バイ G-レコ」は地球も宇宙の中の一粒の星に過ぎないことをわきまえたうえで、もっと広大な砂漠のような銀河群も認識して、自分(人類)を賭けて宇宙に進出する夢を持つという気合を入れている。
 Gのレコンギスタの物語の最初はスコード教のキャピタル・タワーのへその緒によってエネルギーをもらって生き延びていた地球上のエネルギーの奪い合いの話だったけど、後半は月から金星に飛んで、そこのヴィーナス・グロゥブでの地球の銀河旅行の話になっている。なので、「カラーリング バイ G-レコ」が外宇宙へ目を向けることも物語としてはつながっている。むしろGレコの後半の話の広がり方に合わせて、「Gの閃光」から「カラーリング バイ G-レコ」にテーマソングも変わっていく。
 なので、完全に別の曲というわけでもなく、同じ曲の4番、5番が「カラーリング バイ G-レコ」なのかもしれない。


 それはそれとして、宇宙に人類が進出したら争いが起きる。Gのレコンギスタの本編がそういう話なんだけど。そこでの戦争殺人も宇宙の深さと同じように人の命を飲み込んでいてプライドやサクセスを毀損する。 


 「Gの閃光」は「スタートを切って始めようとする自分」の一人の気持ちの歌で、あんまり他者の存在を歌っていない。リアルは地獄で騙されているのか?というざっくりとした世間の話と、栄光の女神は向こうから来ないという話。栄光の女神は他者というよりは、まあ、サクセスの象徴的なものなんだろうけど。


 「カラーリング バイ G-レコ」では戦いの後に受けとめてくれる他者の存在を想定している。
 というか富野監督の人生相談の「富野に訊け!」での富野監督の考えでは「喧嘩やもめごとも他人がいてくれるからできる」という他者への感謝がある。戦闘ですら。
 それがマスクとベルリの争いでもあるし、マスクとマニィの抱擁でもある。


 それが愛の色合いという表現になる。閃光と言えば、ガンダムの系譜としては白いヤツという感じなのだが、G-セルフはデザインコンセプトが光ガンダムで七色のバックパックを付け替えるレインボーガンダムでもある。
 劇場版G-レコはラストに象徴されるようにベルリ一人の物語ではなく他者とのかかわりを強調しているので、他人がいる。ということは違う色があって、色んな人と様々な色合いの愛憎を抱いたりする。そこで改めて自分一人ではない元気のGがはじまる。


 そういうブレンパワードのようにぐちゃぐちゃにまじりあって生まれてきた人たちによって、宇宙の色も変わっていくんだなあというわけで。
 「カラーリング バイ G-レコ」は劇場版第4部のエンドロールで色鮮やかになったナットたちと共に歌われるので、ビジュアルとしても宇宙の色が変わっていてにぎやかになっている。


 なので、「カラーリング バイ G-レコ」は「Gの閃光」を否定して上書きしているわけではなく、むしろ閃光で単色だったのが様々な色になって、映画として群像劇モードになるし、世界の舞台も地球から宇宙に向かって拡大していくんだなあ、という延長線上の歌なのだと思う。
 可能であれば「Gの閃光」から「カラーリング バイ G-レコ」にシームレスにつながる編曲バージョンも聞いてみたいところ。


 うーん。やっぱりこれ、せめて第五部の公開前の2か月くらい前に書いておくべきアイディアだったよなあ。なんか、忙しかったというか、劇場で上映しているうちは感想を書くより映画館に行くことを優先したり、映画館に行くことで消耗して体調を崩したりしていた。まあ、でも永遠に書かないよりは今回書いておいた方がいいので。とりあえず、円盤が出るまでには書いておきたいです。
 そして、あの、Gレコのプラモデルを劇場版に合わせて買ってなかったのを「新品で」買ったんですけど。積んでるけど。
 そろそろロボット魂のネリーブレンが発送されるんですけど。あの。


 うわー!オタ活は終わらないっす!


 Gレコ劇場版本編の殺人考察を書くには、またそれはそれで、テレビ版と見比べる必要もありまして、うわー!自縄自縛!その割には日々の家事とか庭仕事溶かしてしまっていたり。まあ、食事は

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