2002/11/30 12 巨大列石の攻防 脚本 高山治郎 演出森邦宏 絵コンテ斧谷稔 作画監督しんぼたくろう高瀬健一
2002/12/07 13 ブリュンヒルデの涙 脚本高山治郎 演出宮地昌幸 絵コンテ宮地昌幸斧谷稔 作画監督下井草伊井乃弼奥村正志
ちょっと流石に借りてるDVDを帰さないとスパロボZ的に悪い気がしたので慌てて見る。
前後編だが、ブレンパワードのネリー・キム編に比べると格段にゆるい。∀ガンダムの緻密さにくらべると楽に見れて以外。
12話って実質的にブリュンの街に行って小競り合いをしただけだからな。場面転換も無し。
それでもとりあえずそれなりに退屈せずに見れたのは斧谷稔コンテの威力?岩が一杯飛んでぶつかり、場面は1つだがキンゲ・ブリュン・サラ・ベロー&ガウリ・アスハム&ザッキのアクションとセリフの絡み合いの面白さ。
そういう一つの物に対して多くのキャラクターが半分偶然的にぶつかり合うのはキングゲイナーぽさ。ただ、偶然のように見えるように設計するのと偶然に頼って構成するのはまた違う気がする。今回はガチコの腕の秘密とかアーリーミイヤとオーバーデビルっていう縦軸に絡んでるから大事な話なんではあるか。
アクション的に、岩が飛んできたりって言う障害を殴ってどけたり、アスハム・ブーンのゴレームに助けられたり、戦ったりって言う連続だとアニメーションの物語と言うよりはスーパーマリオ的な障害物競走になりがちだけど?わりとまあ、見てるときはストレスに感じなかったからいいかー。
オーバーマンはリアルなディテールもありつつ、大まかなシルエットはぬいぐるみで色も派手なんで、岩にぶつかったり岩をぶん殴ったり「のようなもの」と戦ったりって言うのはユーモラスなポーズで面白い。作画枚数も削減できる。
ただ、それならもうちょっとディフォルメして勇者ロボやGガンダムみたいな必殺技を入れたり、クレヨンしんちゃん的に変形させたりしてガンダムっぽいリアルさと差別化してケレン味の在るアクションにしても良い気はした。ま、次のドミネーターでやりまくるわけだが!
作画的には下井草氏は前に初めて見たときよりは酷いとは思わなかった。まあ、ショックが慣れたのか。イデオンを見たからか?湖川友謙絵って当時はすごかったと言われてるけど、実はイデオンやダンバインを見たときもそんなにすごいとは思わなかったりした21世紀脳。湖川氏って観察力からの理念技術派ではあるけれども、その法則に慣れればやや手癖になってたりもした?
12話と13話後半の作画はすごく良かったと思う。良かったと思うのは、僕の好みなのだろう。どういう違いがあるかと言うと、やっぱり質感や動きの細かさだろう。つまり、技術差って言うよりは設計思想の違いって気がした。
下井草の場合はあおりや斜め後からのアングルの書き方のパターン化で作画効率を上げてアニメーターをそろえる、新型はもうちょっとパターン差分が細かい。3DCGやフィギュア文化って言う影響もあり?
あと、下井草の影のつけ方は直線的でのっぺりしてる。速く描ける。新型は(今回は重田敦司氏作画監督ではないけど、)装甲の凹みや服のしわや顔の凹凸に合わせて細かく影の境界線を振るわせている。あと、デジタル画面効果でシベリアの日差しの照り返しの強さを色彩変化で表したりって言う技も細かい。
うーん。80年代サンライズと90年代後半ジブリの対比ですかね?速度と質感の違い?
あと、湖川氏の線はザラッとした鉛筆だと粒子の分だけ密度が上がるけど、デジタル撮影の一定の線だと余計のっぺりする。
13話後半は東小金井村塾作画監督演出コンビで、どうもそこら辺もジブリっぽい。
ストーリー演出的にも黒モニャの化け物と、少女の交流って、スタジオジブリのナウシカもののけ姫千と千尋の神隠しっぽい。
そして、ブリュンヒルデ=ポニョ。
お話的には。
12話で、サラ・コダマが放課後のクラスでエクソダス後のヤーパンでの生活設計農業計画についてゲイナーと議論をして半分演説のようになり、何も考えてないと言われたゲイナー・サンガは「ムリムリ」「許可とかどうするんだよ」って反論してる。
で、まあ、色々とあって13話で「こういうサラなら愛せるな」って言うのが少年萬画的なあらすじなのだ。
サラが教卓に腰かけて演説してるけど、そういう目立つ行為をしてもクラスの中で「粋がってるヤナ女」っていう風に他のクラスメイトが見てないっぽくてガウリ隊以外の男の子も普通に話してるし、女の子の視線もサラを「ちょっと可愛くて目立つからって調子に乗ってる」っていう嫌悪感もないように見えた。サラは活動家少女であるんだが、クラスの中に受け入れられてるみたいで良いな。
まー、担任のママドゥ先生がエクソダスの首謀者の一人でも在るし、アデット先生とクラスの皆が冒険したって言う経緯もあるからエクソダスでクラスが文化祭的に結束してるって言うのはあるかな。それは微笑ましいんだが。
主人公であるゲイナー君はメガネだし親も殺されてるしそういうのは無邪気に信じられないし、引いて見たりしてる。半分過ぎているのに、未だゲイナー君はエクソダスに関しては客観的な立場を守っているのか。
今回のサラ・コダマは母性的な行動が目立つ。スタジオジブリのヒロインみたい。だが母性的過ぎて電波。
実は、白トミノになっても母性を盲信しているわけではなく、母性の馬鹿っぽさに対する批判性は割と健在。
だって、ブリュンのことを思いやっていながら、アスハムがブリュンのコックピットを修理しようとしたら、電線をぶった切って邪魔する。痛みに震えるブリュン。ひどい。「言う事聞かないなら、私は出て行くから!」
アスハムがブリュンの性能を復活させようとしたら「ミイヤのオーバーマンなら修理したら何が起こるか分からないでしょ!」サラはアスハムに「情けなく自分勝手な人」「この子が求めているのはあなたじゃない」って言う。お前も身勝手だし、お前も求めてないわい。修理が完璧だったらオーバーデビルに殺されなかったかもしれないのに・・・。(まあ、キングゲイナーはブリュンの腕を斬ってるけど)
ちょっと機械人形がコックピットに乗せてくれたり、花の咲いている都市模型をこしらえたりしたって言うだけで擬人化しすぎ。しかも自分の都合のよい「優しい巨神」っていうドリームの枠じゃないと嫌って言う乙女チックさの無自覚さ。
そういう考えの足りない感じの主張の押し付けは、メガネ男子的にはイライラする。
女の方が現実的って言われる事が多いが、ゲイナーは「ブラックホールがあったら地球がなくなるから、ブラックホールじゃないだろ」っていう理系の現実感がある眼鏡男子。
まあ、キンゲ世界では女だけじゃなくて男もアホなんだが。
ザッキは卑怯キャラなのにゲイン・ビジョウに「俺にも借りがあるだろ?」って言われたら戦わずに引いたり、アスハムを助けるって言いながら弾道ミサイルを撃ちまくったりして、アホ?
アスハムの行動も割とおかしい。コックピットの中でモニターを撃つなよ。ブリュンヒルデの意味は分からないのに。
サラとアスハムのケンカしながら妙に仲がよかったりするのは面白かったけど。絵じゃなくセリフで「体を温めあう必要がなくなったもんね」って一晩過ごした後ってセクハラっぽく示すのも遠まわしなユーモアで面白い。ブリュンヒルデが夜中にコックピットから放り出した意味は不明だが。しかも、次のシーンですぐに二人はまたブリュンに閉じ込められるし。アホか。
で、ブリュンヒルデが最終的に「ブラックホールのようなもの」を最大展開して消失するのだけど、それをサラは「アスハムが自爆装置を仕掛けたんだ!」って決め付けるし。
だから、白富野由悠季が母性に傾倒しているって言う気はしないな。バロン・マクシミリアンはうざいし。
では、母性も思い込みが激しくてアホ、男も力や文明に頼りきってアホ、というなら、何が正しいんだ?
まあ、キンゲはクレヨンしんちゃんレベルのお馬鹿萬画だから、みんなオバカでも別にいいんだが。
そりゃ、ヒロインや悪役がアホたれなら、主人公がスーパーイケメンになればいいんだろ!って言うこと。
つまりですね、ブリュンヒルデは思いっきりマンコ(ちょっと黒ずんでる)の象徴なんだけど、エンジェル・ハイロゥに対するリーンホース.Jrやゴトラタンに対するV2ガンダムのようなもので、オマンコヒルデに突撃するキングゲイナーが男の子!
女だけでは嫌だ、男だけでも無理だ!というわけでセックスセックス!
母性と父性のどっちが正しいって言うことではなく、陰陽と言う者が既にあるのだから、相反せずに助け合えば良い。それがオーガニック的なものなのでは?
(助け合い自体が母性的なものかも知れんが)
母性が発動するのなら、より男らしくなればいいだけの話じゃないですか。リーンの翼でもリュクスはスイーツ脳なのでキスしまくりの恋愛依存だが、エイサップはそれを踏まえた上でサコミズと向き合う。
青少年のキンゲだけだったらサラを助けて「間に合わないから好きな女の子と一緒に死ぬ」っていうオタクっぽい感じになってしまうが、そこでゲインが「お前も手伝えよ!」ってツンデレなことを言いながら命がけでブラックホールのようなものを支えて助けてくれるから、ゲイナーももう一度頑張ってゲインのガチコもサラも両方助けて大活躍!カッコいい!
あと、ゲイナーはガチコの左腕よりも大きい方の左腕を切断するので、微妙にゲイン越えを象徴的にやってたりする。
近年のトミノアニメの恋愛は二人だけって言うよりは世間や他の男の目があって、それを乗り越えてナンボって言うところが在る。案外マッチョ。
で、ラストシーン。
サラは自分よりも母性の強いアーリーミイヤの悲しみとか挫折を見てショックを受けて泣く。女はその場の思い込みで泣く。
そういう乙女に対して「ブリュンはすごいオーバーマンだからどこかで生きているさ」「サラがヤーパンでミイヤの街を作ったらいいんだ」と、男らしく立体的に俯瞰して、経験とデータに基づいて励ましてやるのがゲイン・ビジョウと言う大人の男。厳しさや暴力やセックスだけが男じゃない。
そうしたら、サラ・コダマだって「よっしゃ!わたしがんばる!」って言う。
ゲイナー君は「そう言うサラを愛せるな」って言う。
何を愛せる?「思い込みに近い理屈を振りかざして従わせようとする女」というよりは「凹んでも立ち直って笑顔で頑張れる女」っていう所を見れば、愛せるなあ。
それなら男は女の思い込みに突っ込みをいれつつ、危なくなったら笑顔を守ってやれる。それは男の力にもなる。いいじゃん。
まあ、ゲイナー君は高校生の思春期真っ最中なので、戦って女の子を助けて抱いて泣き顔の後に笑顔を見て、興奮してるだけかもしれないし、単にベタぼれなだけかも?(笑)