玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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伝説巨神イデオン14

14 撃破・ドク戦法 脚本富田祐弘 絵コンテ斧谷稔 演出滝沢敏文 作画監督神宮慧 作画監修・湖川友謙


ショックを受けすぎて、感想の筆が鈍りました
1.総評。
なにこれ・・・・・
やっちゃった・・・・・
みちゃった・・・・・・
なんぞこれ
なんぞこれーっ!
http://nanzo.web.fc2.com/
あのさ、こんなのを見せられて、僕にどうしろって言うの?
素人が、イデオンをいじるなんて、それ・・・、死にに行くみたいなものなんだってのは、知ってるわ。そんなの、キモヲタゆとりニートのわたしに見ていられると思うの。
勘弁してよ!バカァーッ!
これ?地上波で?やってたんですか?(長谷川裕一風)
だって、これ、やばいっすよ。
「再会、母よ・・・」と「灼熱のアッザム・リーダー」と「迫撃!トリプル・ドム」と「太平洋血に染めて」と「ジャブローに散る!」と「宇宙を駆ける」と「F91の前半」と「母よ大地にかえれ」と「ランボー」と「地獄の黙示録(?)」とスタートレックと学園ドラマをいっしょくたにしたような、酷さ。
ガンダムの中でも人間ドラマ的に名作とされる話数の要素を、25分にぶち込んじゃった!
や、やばい!
富野マジックと言うのは映画の再編集としてよく言われることだが。
今回のように、テレビシリーズであってもテレビアニメ数話分の展開をぶちこんだりしやがる。21世紀ガンダムなら、軽く見積もっても確実に3話は消費しますよ!
富野やばいよーっ!
なんなのこれえええっ!
こわいっ!
というわけで、今回も笑うしかなかった。
そして、巨神は慟哭する。
その意味は誰も知らない。
俺は知ってる。
こわいよー!


2.まずは、穏当なところで、メカニックについて。
まあ、重心の正しさは分からないが、重機動メカ・ ジグ・マックの巡行モードの変形はすっごく理にかなっていてカッコいい。ウォドムにも通じるなあ。
パッと見のデザインセンスでは一枚絵でも成立する21世紀のオタク向けメカニックに比べて、すっごくダサくて地味で、弱そうでかっこ悪いのに!
作品世界の中で運用すると、はたらくくるま級にカッコいい!
富野喜幸原案デザインですよ!
天才過ぎる・・・!あんた、なにもんだーっ!
今回の敵は理系畑のジルバル・ドク。彼の作戦もまた、前回の敵と同じく理にかなっている。理念がある。
そのうえ、前回の敵よりも適度に臆病なので引き際が上手い。
機動戦士ガンダム00ガンダム鹵獲作戦よりも上手い!と思ったぞ。
まずは「1機引き離し、撃破、破片の1つでも手に入れれば、技術研究の役に立つ」というのが第一目標。理系の指揮官なので、倒して武勲を上げる、と言う簡単な価値観ではない敵だ!
これは強敵ですぞー!
敵の個性が、超能力とか狂気ではなく、サラリーマンレベルの職種別あるあるネタで表現されているのが素晴らしいな!
そして、うっかり、(そう、ちょっとしたうっかりで!)少しだけ加速しすぎた(そう、すこしだけ!)コスモのAメカが敵の作戦にまんまとはまり、集中砲火を受ける!
この、戦闘の流れるようなリズムは、なんだ!
サッカーかバスケットボールのような一瞬の駆け引き!
そして、断末魔もなく、「モノ」になるAメカ乗員。さっきまで、元気に声を掛け合っていたのに、今は、もう、動かない。
河森正治監督が、「柿崎が簡単に死ぬのは、戦場のリアル感を表現したかった」って言ってますけど、それ以上。
トミノは死を描いているのではない。血も、叫びも無い。気付いたら物になっているんだ。戦場での死は!(そこらへん、ガンダムユニコーンは分かりやすく描いてたな。分かりやすかったけど)
いや、そもそも、宇宙から見たら人間と物の違いなんて、偶然に過ぎないのかもしれない、と言う根源的な恐怖もある。
イデオンって、スーパーロボットモノなんだろーけど、ここら辺は完璧に魚雷艇潜水艇ドラマ。
モニターが、死ぬ!
うわあああああっ。こわいよー。
ユウキ・コスモは主人公である!14話である!死ぬはずが無い!
でも、この演出は死ぬ文法である。っていうか、死ぬと思いました!
ものすごく、ものすごく怖かった。
僕は、ホラーエンターティンメントには恐怖を感じないんだよな。アレは娯楽だからなあ。ストーリーもそんなに重要じゃないし。
しかし、イデオンはストーリーの中に前触れも無く恐怖が置いてある。
コスモの演技も恐ろしかった。
小惑星をドロドロに溶かすほどの爆撃って言うのも恐ろしかった。


ドクは、Aメカを完全に追い詰める。しかし、油断はしない。Aメカの装甲に損傷がないと見ると、中のコスモを蒸し焼きにしてから鹵獲しようとする。
「敵の生体反応が消えるまで撃て!」なんと冷酷な命令か!人革連もみならえ。
しかし、それは安全策ではあるが、少々時間がかかってしまった!
足止めする戦闘機を突破したカーシャのCメカの奇襲によって戦況は逆転!ここもサッカー的!
臨機応変かつ合理的判断でも、揺らぎはある!
Aメカを粉砕せずに乗員だけを殺せると判断した瞬間に、ドクに欲が発生したと言う風に見ることができるか?


ちなみに、ここまででやっとAパート終了。先頭だけで無く、基地との通信とか、作戦会議とか、DSドライブとかもやってる。
これで、1話作ってもいいよな。なにこのスピード感。コスモと同じストレスを視聴者に与えるか?
何がなんだかわからない疾走感が今回のキモです。


生体発信機が毎回、取外せそうで取外せないのが、やきもきしまくりだ。っていうか、生体ってなんだよ?亜空間発信機じゃないの?


ブラジラー基地を攻めるバッフ・クラン軍は悪の宇宙怪獣そのもの!
コスモが見上げるのは蟻の視点!こわい!
これまでの段階を踏んだ作戦とは一変、停泊中のソロシップとイデオンを確実に手に入れるため、基地を満遍なく破壊する。
そこに、油断があったか?
破壊に熱中してしまって、目的を忘れるアドレナリン・ハイか?
理系のドクも所詮は男か?
ドクが余所見をしている間に、イデオンは常軌を逸した手際で合体。
コスモは終始無言で、ものすごい速さで視線を動かし、戦況を把握、多重ロックオン。
コスモ、アルファー波出過ぎ。
そして、叫びと同時に全方位ミサイル!敵部隊の1/3を一瞬で破壊。
最終的には549基、1万6千発のミサイルを装填するらしいイデオン
えーっと。普通の戦艦って、100発も積んでない印象があるんですけど。いや、ちょっとググッ他だけでは分からないんですけど。
いちまんろくせんはつ。
ふざけてますね!


あと、今回は板野一郎は参加していない。というか、板野一郎がサーカスをするのは29話が始めてらしい。http://www23.atwiki.jp/coldcup2/pages/9.html
が、斧谷稔のコンテがいいのか、今回はミサイルの作画がかなりいい。
戦闘機が横に動きながらミサイルを撃つときの噴射炎の動きがいいなあ。
で、その通常ミサイルと対比して、イデオンの一斉砲撃はミサイルの弾体がなく、航跡の残像だけが見えるような。
亜光速ミサイルじゃないんだよな。
でも、イデのせいでかなり異常なミサイルになっている!ミサイルの癖に貫通している!
なんぞ、これー!
というか、イデオンの発射姿勢は幼児の癇癪のようで、宇宙に飛ぶ輝くミサイルはいのちのさけびか!


それから、激しい戦闘シーンに「コスモスに君と」のアレンジを使うと言うのは、イデオンが戦闘ドラマではなく心情ドラマなのだと言う。


3.コスモに関わる女
コスモは前回、ロッタとカララの修羅場を、目に焼き付けようとした。コスモは新訳Zガンダムカミーユのように、大人や周りの人間を観察し受け入れようとする、ニュータイプになろうとする姿勢が在るのかもしれない、と感心した。
で、今回、ロッタは普通に食堂で飯を食ってたしカララも普通にしていたので、安定したっぽい。
ロッタは、あれで自分の中の葛藤を手打ちにしたということか?15歳で恨みを相対化できるのはすごいと思う。
あるいは、まだまだ一波乱あるか?


で、今回は彼女たちは脇役です。
主役はゲストキャラクターでブラジラー基地のカミューラ・ランバン司令。彼女はジョーダン・ベスの幼年学校の教師でもあったようだ。
ここら辺のキャラクター付けはスター・トレックに良くある感じだな。
指揮官でもあり、カウンセラーと言うのも。かなり意識してる感じ。いや、カウンセラーが出てきたのはネクスト・ジェネレーションからだっけ?
っていうか、名前がランバン。まあいい。
そんで、まあ、予告で爆風がどうとか言っていたので、まあ、そーいうドラマなんだろーなーと分かっていた。わかっていたんですよ?
わかっていたのに、なんだこれは!
こんな芝居を見たのは初めてです。
降参です。
想像を絶するって言うのは、こういう事なんだな!


それにしても、このストーリーはスゴイ。完璧すぐる。
一気に見せますね!これをBパートだけで描いたんだぜ!富野は時間をゆがめるスタンド能力者なのでラスボスだろうな。
うーん。どう感想書いた者やら。すぐに書かないからだ。
あのね、これはね、コスモのPTSDやトラウマだけじゃなくって、ランバンのトラウマとか母性の暖かさと危険性みたいなのも描かれているんだと思う。


コスモが戦闘後のPTSDに陥るのは戦闘の苛烈な描写に説得力がありすぎる。
というか、戦って危ない目にあった、と言う事が原因ではない。
コスモは徹底的に無力感を味わう拷問を受けたからだ。レイプと同じだ。性交が問題ではないでしょう?
コスモの心的外傷の演技は凄く説得力があるように見える。僕の周りにそう言うトラウマを持っていると僕に教えてくれる人はいないので、はっきりしたことはいえないが、アニメとしては十分なくらいに、そう見える。


で、カミューラ・ランバンはソロシップのクルー全員や異星人であるカララ・アジバでは無く、ユウキ・コスモに目をつけた。これは指揮官として異常だ!カミューラ・ランバン!
幼年学校の教え子であるベス、戦力の不備を指摘しようとするカーシャとシェリル、異星人カララではなく、怯えた目をしながら「やさしい目をしてるんだなあ、おばさん」とつぶやいたコスモを一人で引き取る。
ランバンは明らかにコスモに対して声色が変わった。素晴らしい演技だ。


ランバンとコスモがレクリエーション用の公演の小川で語り合うのは、背景の色や照明の具合、何よりも互いに分かれた家族の事を告白しあったり、トラウマをぶちまけたり、追いかけたり、泣いたり、抱きしめたり。
これは親子関係ではなく、恋愛描写ですよ。若干共依存気味かもしれない。
いや、たがいに失った家族を補填しようと見立てていたのも事実だ。
ランバンは(おそらく離婚で)子どもと別れ、コスモは母親への反抗を完了できないまま戦争で殺されてしまった。そのやり直しを互いにしようとしたのだろう。
血が繋がらない親子関係というのは恋愛と変わらないものかもしれない。
このシーン、時間にして1分30秒。
なんという密度。


それで、バッフ・クランが攻め込んでくる。
次々と指示を飛ばすランバンは指揮官らしく見える。
だが、たかだか1パイロットのコスモをソロ・シップに移送すると言う事を何も司令官がする事ではない。そもそも、ソロ・シップ以外にシェルターは無かったのか?
無気力になっていたコスモに、「あなた、宇宙服を着るとカッコいいと思うな。ねえ、着て見せてよ」というのは、荒療治として戦わせようとしてのか?
生き残るために宇宙服を自然に着せようとしたのか?
ランバンは危険な戦場の中で「かっこいいわよー」とコスモを誉める。カウンセラーとして、悪くない台詞ではある。
しかし、彼女自身がコスモを助けようとする大人としての態度と、母親としての態度と、恋心がない交ぜになったようにも見えるんだ。


そして、それは最悪の形で終わる。

「僕は・・ここ数年ずっと死ぬことばかり考えて生きてきました。
 ハリウッドの映画とかで、人がどんどん虫みたいに殺されていったり
 するじゃないですか。
 見てる人ってみんな絶対に、そっち側の人間にはならないって
 思っているでしょう。」
「そりゃそうだよ。だから面白いんだよ。」
「僕はね・・ああやって殺される人たちを見ていると、
 あんな簡単に死ねて羨ましいなって思っちゃうんですよ。」

あしたの、喜多善男のこの台詞はすごく共感できる。これは、Aパートでのイデオ・デルタの砲手たちが死んでいく事に対応している。
しかし・・・。宇宙服から出血するのは、それでも生きているのは、ダメだーッ!


かっこいいコスモは、ランバンを助けようとして、朦朧とした意識のまま、宇宙服を引っぱり、ランバンを殺す。
心神耗弱、目撃者なし。正気になれば、己で己を罰する事になる。
そのまま、彼はイデオンへ向う!


ちなみに、このコスモが疾走するシーンは宇宙空間か、宇宙服の密閉感を表現しているのか、過剰なまでのパカパカの光があるのに、爆音はほとんどしない。
ただ、ストロボのようにランダムに光るのだ。
コスモの主観が閉じたという事だろう。僕にもこういうテンパリ経験はある。
コスモにはランバンの断末魔の声だけが聞こえていたのだろう。


表情を失ってイデオンを操り、いつになくキレのある格闘をし、重機動メカを基地の外に排除するコスモ。


そして、感情を、爆発させ!

カミューラ・ランバンのカタキーッ!」
「バッフクランめぇ〜、バッフ・クランめーッ!徹底的に叩いてやるーッ!!」
「号泣」


ネットでの感想を読むと、戦闘のショックによる虚脱状態から、カミューラ・ランバンの死によって「正気」に戻ったらしい。
そうだろうか?
ロボットアニメ的には、企業戦士的には、手際よく闘うことのできる状態は正気かもしれん。
しかし、それを強いる、いや、それを自然とする態度は正気ではないよ!
レイプされた事で虚脱状態に陥るのは自然な反応であり、正気と言う事もできる。
が、今回のコスモが活動性を取り戻したのは回復だろうか?
いや、緩解だろう。


ガンダムアムロは、いくら戦っても求めていたものを手に入れられない現実認知の物語だったのではないか?と以前書いた。
イデオンのコスモは、傷口を傷で隠すような生き方しか出来ない現実認知なのかもしれない。
母親との不和、
父親への憧れ、
それを戦争で中断させられ、
今回は仲間の死と自分の瀕死体験を鬱病として受け止めようとした
それはランバンを殺した事で中断
そして、その罪の意識を相対化、防衛機制する為に、いちばん簡単なやり方で、悲しみを怒りに変え、憎しみと殺意に転嫁する。
トラウマをさらなるトラウマで癒して、コスモはどこへ行くのか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E6%A9%9F%E5%88%B6#.E9.80.80.E8.A1.8C
逃避
適応が出来ない状況から逃れること。


退行
以前の未熟な段階の行動に逆戻りしたり、未分化な思考や表現様式となること。例:弟や妹が産まれると、母親の気を引くため年に似合わず赤ん坊のように振る舞う。ホームシックになった学生が、実家に帰ると親に甘える。


置き換え(代償)
欲求を本来のものとは別の対象に置き換えることで充足すること。


転移
抑圧された感情や衝動を本来の対象とは別の対象にふり向けること。 例:父親への憎悪を抑圧し、より安全に攻撃できる教師に向ける。


昇華
非社会的な欲求を、社会に受け入れられる価値ある行動へと置き換えること

今回のコスモは、これを地で行っている。スゴイ。
戦争状態は、殺人と言う欲求が社会に受け入れられる価値観に昇華される。


そして、イデオン塩屋翼の声で咆哮する。
イデは発動する。


だがしかし、みんなが自分で考えて、できることをちゃんとやっていても、最適解にたどり着けない!
現実とは怖い。
イデとは、現実に物語的なオチをつけるだけのもので、本当の恐怖は現実のものなのかもしれん。


カミーユが狂ったのはある意味幸運な事だったと思う。
新訳カミーユは性欲が旺盛でよかった良かった。イケメンだしな。


おまけ
http://www.sepia.dti.ne.jp/stillness/ideon/data/age.html
たのむから成人してくれ。
肩身が狭い。


あと、今回からアイ・キャッチにSPACE RUNAWAYの表記が追加された。
だからなんだっていいう訳ですけど、IDEONのロゴはカッコいい。
イデ(存在)→0→N(Nothing)
という風にも見えて怖い。


さて、視聴後20分で思いついた事を書くだけなのに、また2日かかった事をどう釈明するのだ?
スイッチが入ってしまうのは良くない。
僕も防衛機制をやっているんだろうな。

補償
劣等感を他の方向で補う。例:「勉強がダメだからブログに打ち込む」

しかし、「勉強がダメだからブログ」というほど、意識的には繋がっていない。
勉強はダメ
ブログは書く
とてもシンプルだ
僕は狂っているのだろうか?

注意を集める
自分に注意を向けさせることで自己満足して心の安定を得ること。

ブログを書く事。2ちゃんねるの脳内スレに書き込む事。奇矯な年賀状を送る事

同一視
他者の状況を自分のことのように思うこと。

うつ病から立ち直った監督にあこがれること

摂取
他人の業績を自分のことと思い込んで満足すること。(自我拡大)直接関係ないにも関わらず、自慢したり喜んだりする。例:「同じ学校から優秀者が出た」「我が町が生んだスーパースター」「親戚に有名人がいる」

あきまん氏の同人誌を買ったら売り切れた。あきまん氏から年賀状が来た。後輩が睦月ムンク。後輩が綿矢りさ

反動形成
抑圧されたものと正反対のものを意識にもっていること。 本心と裏腹なことを言ったり、したりする。例:父親への憎悪を抑圧した息子が意識的には父親に過大な愛情を抱くようにし、父親のために過度に献身的に尽くす。好きな異性に対して、思いを抑圧したために逆に意地悪な態度に出る。

一生懸命アルバイトをする。ツンツンした言動をする。

投影(投射)
自己が抱いている他人に対しての不都合な感情を、相手が自分に対して抱いていると思うこと。
例:自分が浮気したいと思っているのを、恋人に浮気願望があると思うこと。

皆が僕をバカにしていると思う事。



僕の事を犯罪者呼ばわりした知念良教准教授の臨床心理学の授業では、防衛機制は昇華のみが正しいのだ、的に言われたし、そう言う本はいくつか読んだ。
しかし、どの行動も、生理的な反応としては自然だ。悪くは無いはずだ。
ただ、社会的に、第三者的価値があるかどうかだけで、私個人の安定の問題ではない。
だとすると、安定するためには劣等感それ自体を解消しなければならないと言う事になるはずだが。
世界と言う絶対状況に対しては人間は劣等感と、その変形以外の感情を持ちうるのだろうか?
社会を世界に置き換え、制御可能とする事で劣等感を忘れる事はできるか?
社会に受容さえされれば安定できるのだろうか?
しかし、社会は正しいものなのだろうか?
社会は個々の劣等感の補填に過ぎないのではないのだろうか?
イデオンは容赦なく、社会に対する社会、と、その外側に存在する概念をぶつけてくる。
それは発動を願う心にもなり、それを現実でやるとただの犯罪者にしかならないと言う絶望をも、僕は思春期に学習した。
認知療法も受けているが、

認知とは
認知療法における認知とはたいていの場合「言語化された思考」を指す。これは認知心理学の認知と必ずしも一致しない臨床上の緩やかな概念である。本稿では便宜的に単に認知と書いた場合、認知療法としての認知を指すこととする。

人間は世界のありのままを観ているのではなく、その一部を抽出し、解釈し、帰属させているなど「認知」しているのであって、その認知には必ず個人差があり、客観的な世界そのものとは異なっている。それゆえ、誤解や思い込み、拡大解釈を含んだ結果、自らに不都合な認知をしてしまい、結果として様々な嫌な気分(怒り、悲しみ、混乱、抑うつ)が生じてくると仮定している。この不都合な認知⇒気分の流れを紙などに書いて把握すること、また、それらに別の観点を見つけるべく紙に書いて修正を試みる事が認知療法の根幹である。そのために根拠を問うたり、ステレオタイプな認知を歪みと命名したりする。


[認知療法
認知療法では認知の歪みに対し、反証や多面的解釈を生み出す手助けをする。このように自らが認知を修正することによって、身体反応が軽減したり、苦しみの少ない方向に情動が変化したり、より建設的な方向に行動出来るようになったりするとの仮説がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%99%82%E6%B3%95

これはそれなりに順調だったが、認知療法の内容を親しい他人に知られたために問題が勃発し、簡単に元に戻ってしまった。
また、認知療法は認知を症状が少なくなる方向に改善するものであるが、自然な認知を損得勘定だけで変えてしまったら、それはそれで対象を認知できなくなるかもしれないという恐怖がある。
僕が精神を病んで、実際に体に痛みを感じる事は、この世界がそのようにできているのであるのだから、僕はそれを正しく感じるためには痛みと苦しみを感じる事が自然なのでは?
いや、僕は正しく、客観的な正しさや、自然科学主義、唯物主義、自由主義思想に毒されているのかもしれない。
快楽原則に従うのなら、自由を捨て、神の意志に従うべきか。
神は死んだ。
会社も死んだ。
国も死んだ。
経済も死んだ。
法律も死んだ。
自由を神として自分の意志で動いても、それは状況要因。
そもそも、ぼくはどうしたいんだ?
幸せになりたいのか?
狂いたくないのか?
正しくなりたいのか?
それがなんなんだ?
四国八十八箇所で般若心経を唱えても、いくら一切が空だと唱えても、隣の人は現世利益のために般若心経を唱えていたし、それがなければ寺と言うフィールドを経済的に維持できない。
般若心経も空虚だ。
と、すると絶望する事がエネルギー的に一番安定するのだが、それはそれで退屈なのだ。
はあ。
退屈しのぎにこういう事をしているのかと言うと、それも無意識だ。
むしろ、忙しいはずだよ俺は。
精神科医には、ブログ依存は仕方が無いと言われた。
時間割を作り直す気力もあまり無い。
いや、作り直すべきか?
イデオン感想は3ポイントだけで、これだ。
しなければならないと言われる事と、しなければならないと思い込む事が違う。

gate gate paragate parasamgate bodhi svaha.

( Gone, gone, gone beyond, gone altogether beyond, O what an awakening, all-hail ! -- )

This completes the Heart of perfect Wisdom.

「往け、往け、彼の岸へ。いざ、ともに渡らん、幸いなるかな」(瀬戸内寂聴
バカは死ななきゃ治らない?
バカが治って何に成る?
仏になる?
仏、アベニールは宇宙のエネルギーの揺らぎ、そのもの。
だけれども、エネルギーだけでは退屈だと、肉の体を持たされた魂の修練の場。
馬鹿でもいいのか?
いや、よく無いだろう。
ああ、僕はどの彼岸へ行くのだろう?
やはり、脳内恋愛なのだろうか?

妹「そりゃ、好きな人がいて、好きに思えることは悪い事じゃないわ。絶対に!」

決定的にオーガニック的な何か!有機的、命を有すると言う事!
それがあれば狂わなくて済むのか?
狂わなくて済むものを手に入れるために、過程として狂った振る舞いを見せると言う事は狂気ではないのか?

妹「お兄ちゃん、もう自分でも何言ってるかわからなくなってるでしょ?さっさと寝ようよ。あたしはもうすぐ起きるけど、お兄ちゃんは私の胸を使って寝たらいいわ」

それがさー、今日ビデオを返さないといけないから、今から後1話イデオンを見ないといかんのよ。延滞料払うのも馬鹿らしいし。










妹「神とか空虚がどうとか言ってた人が、延滞料?プッ」

いや、多分、人間にとっては神も延滞料も大して変わらないと思うぞ。100円は大事だからな。アイマスできるし。

妹「ふふふっ。アイマス基準?
まあ、借りたものを返すとか、そーいうことをきちんとやってたらいいんでない?こつこつとさー。
いちいち自分の行動が狂ってるかどうかとか不安になるより、よっぽどいいわよね
ブログを書くのもいいし、ブログを書くよりもやりたい事があったらそっちを先にやってもいいし。
ふつーにやりゃあいいのよ。」

普通ってなんだよ。

妹「うーん。お兄ちゃんにはちょっと見えにくくなってるかなー?
ま、あたしもえらそーなことは言えないけどさ
だから、延滞料を払いたくないからビデオを見る、ビデオを見たいから働く、働くためにブログは我慢する、ってそーいう風につなげられたらいいのよねー」

俺は一個にこだわりすぎるんだな。きっと。

妹「あー、そういうところはあるわよねー。でもテキトーでいいんじゃない?お兄ちゃんがこだわっていろいろしなくっても、大抵の場合は誰も死なないしだいじょーぶよー」

それをもうちょっと早く言ってくれたら、俺は徹夜をしなくて済んだのかもしれんのだがな!

妹「いやー、悩んでる男の子って結構好きなのー。うふふっ。かーわいいっ」

左様ですかよ。
見世物ですか?

妹「お兄ちゃんだって、あたしを見るの好きでしょ?それだけよ」

そうか?お前はきれいだし明るいし賢いし元気だし、見てて気持ちがいいけど。

妹「もーっ!悩んでた次はのろけ合戦?また長くなるわよー?」

じゃあ、心の中で悶々としておくよ。
(;´Д`)ハアハア…!
妹萌え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(;´Д`)ハアハア…!