玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

オーバーマンキングゲイナー 2526 ゲインとアスハムとルルーシュとスザクとシャアとアムロとミイヤとイオリア・シュヘンベルグと男と女

(あるいは「黒い王子と白い騎士の絶望と自殺願望」)
氷の中で
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Brush/8398/king.htm#k25
ゲインオーバー
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Brush/8398/king.htm#k26
今回は、大局を見る黒い王子シャルレ・フェリーベと白い騎士アスハム・ブーンの決闘について語ります。
前回、オーバーデビルによって世界の裏の真実を知ったゲイナーとシンシアは絶望のオーバーフリーズに落ちた。そして、「世界を凍らせて世界に愚かしさを思い知らせる」という、セカイ系魔王になってしまいました。
大きな世界を、小さな人間が受け止めようとすると細かい事がわからなくなってすぐに絶望してしまうんですな。大きな世界の問題を自分の問題として受け止めると、世界を(革新的に)変える事が出来ないという自明な事を、「自分で自分の問題を解決する事も出来ない」=「絶望した!」ってなるっていう。
だから、普通は世界の問題などという事は知識としては知っていても実感しないようにして日々の生活をするのが普通の事です。それを責めると沙慈君は困る。
これと同じような事を、富野由悠季監督は

富野 忘れて暮らせることのほうが……。忘れなければ、人は暮らしていけません。全部覚えていたら、ちょっとしたうそをついたことも、人に借金したことも、それから、うそをつくということじゃないんだけれども、他人を裏切ったかな、といった事を全部覚えていたら、それはもう、ノイローゼになります。

「忘れる」ということ:GaZOVol.3富野インタビュー(ひびのたわごと)
http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-2111.html

(こういう風に雑誌やネットの発言で外堀を埋めていく僕は検事か何かか?)


ところで、オーバーマン キングゲイナーの世界観って、大変動の後の冬眠から人々が温暖な地に戻る、と言うのは∀ガンダムに近いのだけど。
むしろ、黒歴史埋葬最終戦争の100年後、シェルターにこもっていた人々が這い出てきた、っていう時代かもしれない。ムーンレィスの地球帰還作戦の前、地球人が地球を復興させ始める時代。
ガンダムではなくても、∀ガンダムで思いついた情景を次回作に流用というのは在り得る。僕もよくやるし。
F91のテレビ版プロットがクロスボーンやVガンダムになったていう。
キングゲイナーもオーバースキルや飛行機や長距離運送っていう科学技術をタブーとして封印した世界だし。

―すると、「∀ガンダム」は、忘れられた人たちの帰還の物語なんですね。

富野 そう。それで、地球にも取り残された人たちがいるわけです。そういった人たちが、生活の手段を全部ああいうふうに封印されて暮らして、もう一度、文明というものを、コミュイティを作っていく苦労をしていった。
 人間のスタミナというのは、ひょっとしたら200年前のことかもしれないけれど、200年前で、あのぐらいの町を作るぐらいのスタミナがあったのかもしれないと、考えられるし。
2000年とか5000年前だったら、その間、逆に科学技術を一切進歩させずに、ずうっとこれで暮らしてきたのは、どうしてか?といったときに、もうあの記憶にだけは戻りたくない。あの体験だけはしたくないから、科学技術を進歩させるということを、人間の記憶が、全部ブレーキをかけていると、考えることもできる。
「忘れる」ということ:GaZOVol.3富野インタビュー

まー、そういう風に人々は戦争の記憶を封印して平和に生きてきたわけですが、例外が一つあります。
∀ガンダムでも領主達は科学技術を(不完全な言い伝えレベルであっても)継承して民衆をコントロールする特権階級でした。
んで、キンゲでもそれは同じで領主の家のものだけが代々受け継いできた記録って言う物があったのだろう。
それで、時を見て(数百年スパンで)人々を少しずつ復興した世界にエクソダスし直させる。って言うシステムを持っていたに違いない。
なぜなら、ドームポリス構想の発案者であるミイヤ・ラウジンその人が最初のエクソダス主義者でもある。
つまり、機動戦士ガンダム00のソレスタル・ビーイングの再生と破壊を同一計画で行なうイオリア・シュヘンベルグみたいな感じ。
ただ、キンゲではそれを伝えるのは人造人間と監視者たちではなく代々の領主だったり、行動を促すのはコンピューターではなく言い伝えや五賢教会思想であったり、シンボルは冷凍保存された博士本人ではなく博士に似た扮装をした代々のミイヤ(整形したかどうかは謎、というか各地域の五賢人ごとにミイヤという役職がある)であったり、戦うのは各地から集められた戦闘プロのプトレマイオスクルーではなく偶然結成された(ママドゥが焚きつけたのかも知れんが)自警団や偶然オーバーマンに乗り込んだヒッキーの少年であったりする。(ゲインが焚きつけたのかも知れんが)
エクソダスは世界再生計画に組み込まれているが、実働は自然発生でなくてはいけない。
サラも13話で「なら、エクソダスを認めないロンドンの方がおかしいのよ。もともとピープルは…」とカット尻でアスハムに言っている。五賢教会ではピープルはいつか豊穣の地に戻って良いっていう教えがあったのかも。モーゼのエクソダスみたいに。
これを途中で切ってるのは、これが設定の根幹であるからか?そして、トミノ監督はキンゲの設定はメチャクチャ細かく作ってるくせに説明は極限まで省いて、設定アニメであると言う風には意地でも見せない。
ここら辺が富野アニメがイマイチ記号としてわかりやすくない所。というか、富野アニメを程よく薄めたら非富野ガンダムになってヒットするのかなー?
富野は醤油だ!そのまま飲んだら兵隊にいけなくなる!


領主が記憶を引き継いでいるって言うのは、劇中でも証拠が在る。
最終回ラストカットでアナ姫が「絵本に書いてあったでしょ!」っていう時に、アナ姫が「オーバーフリーズをオーバーヒートで中和させれば」って言う前に、カット頭のベローが「そうなんですか?」って言うって言うことはアナ姫は視聴者には聞かせないように皆にオーバーデビルの由縁を語ったのだろうという事は想像に難くない。他のキャラクターはそういう絵本を知らない。さり気なく、一話の伏線と世界観の根幹をベローごときのリアクションで示したりする。ひどい。
で、アナ姫は子供だったんで、1話の前はまだ深く受け止めていなかったし、リュボフはおとぎ話*1だと思っていたんだけども。
そして、他のドームポリスの領主達は日々の生活のために腐敗してシベ鉄と不正取引で私服を肥やしたり、芸術に逃げたりという大人たちだったのだが。
一人、青雲の志を持った男がいる。


シャルレ・フェリーベである。


彼は世界の裏を知った上で行動する、黒き王子であった。
ここら辺はギアスと言うオーバースキルやラグナロクの存在を知ったルルーシュ・ヴィ・ブリタニアやシャルル・ジ・ブリタニアに似ています。
やっぱり、富野アニメを薄めたらヒットアニメになります。富野アニメは岩塩。


そして、シャルレ・フェリーベがロンドン留学中に知り合った親友、そして白き騎士がアスハム・ブーンです。枢木スザクです。
ロンドンは首都なので、アスハムは領主というよりは貴族なんだろうけど。アスハムもおそらく、世界の裏を知る男。世界が大変動の後、ドームポリスと、その後のエクソダスを用意された、デザインされた歴史のレールに沿っている事を知っている貴族。だから、オーバーデビルの事を知ってもいるし、オーバーデビルに近づこうともした。
そして、その太古の計画よりもロンドンでシャルレと二人で統治しようと野望する。
「ミイヤなど、エクソダスで世界を惑わす魔女にすぎん!」と言うのは、現在のミイヤだけでなく、五賢教会の冬眠と帰還システムへの反発か。
それは、キングゲイナーのテーマである、組織の硬直の象徴かも。アスハムは太古のミイヤ計画で予定されたエクソダスによる冬眠体制の解体よりは現在安定しているロンドンIMAの統治システムを維持して、その枠を利用してピープルを正しく導こうと言う気持ち。
ロンドン・IMAは元々、大変動から復興するための暫定組織だったはずだが、復興までに数百年を要するために、暫定組織を維持しなければいけないという働きが伝統になって、組織が自己目的化してる。アスハムはそれを破壊するのは危険だとして、その枠の中で不正や差別を撤廃しようとする枢木スザクのような気持ちか。
ゲインは体制は無視して勝手にエクソダスをしようと言う気持ち。ルルーシュほど積極的にぶっ壊そうという意識はなさそうだ。むしろ、ドームポリスシステムをぶっ壊そう!としてぶち殺されたのがウッブスのエクソダスで、ゲインは2周目の男。
あ、ルルーシュも2期があったけど、1年のブランク程度で記憶喪失だったし、数年放浪したゲインほど達観はしなかったね。
スザクっぽいアスハムはシャルレのやったウッブスのエクソダスを見て「ミイヤに惑わされている。ロンドンが暫定組織でなくもっと世界を統治できればエクソダスの必要は無くなる。そのためにシャルレと協力したい」という気持ちかと。


ま、アスハムとシャルレはスザクとルルーシュの設定を微妙に2人で分けてる感じですね。(逆です)妹も居るし。
それから、ゲインとアスハムはアムロとシャアっぽい設定も2人で分け合ってる感じ。
ウテナガンダム

大河内一楼

ゲインとアスハム
っていう流れだろうか?黒い王子と白い騎士って言うのはプリンセスチュチュとか、地球へ…とかそういうカップリングの鉄板みたいな所もある。ロン毛美形でも書き分けやすいし。
シャアはスゲー赤いけど(笑)


さて、ウテナは見てないんですけど。
こういう高貴な2人が大局を見て行動すると、どうなるか。
結論を言うと、死ぬ。自殺する。
大局を見る、大局を自分で動かそうと無理をすることは絶望と直結しているのである。
ルルーシュもシャアも自殺に近いテロを起こして生死不明。(と、一応書く)
シャルレ・フェリーベも一度死んでゲイン・ビジョウに生まれ変わっている。バレバレだしママドゥやエリアルとか以前の人脈から隠れては居ない。
バレバレなのに名乗り変わるというのは、おそらく、王子のままでは彼は大局を背負って死にたがる貴族に戻ってしまうと、本能的に察知して逃げまわっているのだと考えられる。
ゲインがカリン・ブーンから逃げ回っているのも、おそらく彼が責任を取ろうとすると極限まで取りたくなってしまう漢で、それをすると自分の人生を捨ててしまうと予想できるので、無責任な男として振る舞う。そうしないと死ぬ。むしろ、ウッブスのエクソダスで一度死んでる。
ママドゥやエリアルはシャルレを「ゲイン」と呼ぶ。つまり、今は王子扱いしない。(エリアルもママドゥも過去を忘れてるわけは当然無いが、名前を変えるということはそういう立場を認めること)
いや、ゲインがゲインに成ったタイミングはウッブスのエクソダスが失敗する前に、エクソダスを始めるために名前を捨てたって言う風にも見えるけど。


そのようにゲインになる事でシャルレは世界のために自殺して自分を捧げることを思いとどまってるんだな。
だけども、アスハムのドミネーターとゲインのエンペランザの最終決戦で、アスハムは叫ぶ。
「シャルレ・フェリーベ!」
アスハムにとって、生死の際での本音では、ゲインは世界を変える力を持った王子なのだ。つまり、世界に殉じて死ぬべきだと言うことね。

アスハム「貴様が私のそばにいれば、あんなバケモノに頼らずにすんだのだ!」
ゲイン「俺だって志はある!」
アスハム「逃げることがか!」


アスハム「二人でやっていれば、なんとか!」
ゲイン「腐りきったロンドンでいくら出世したって、何も変わりはしない!」
アスハム「二人でやれば、できたはずだ!」
ゲイン「甘いんだよ! それが! 終わりにするぞ!」
アスハム「…終わり!?」


ゲインのエンペランザはアスハムのドミネーターを抱きかかえ、ブラックホールを発生させる。


アスハム「ふざけるなああっ! こんなことでぇぇっ!…オーバーデビルとて、隙を見て必ずっ…くっ、カリン!」
ゲイン「エンペランザ!」
アスハム「シャルレ・フェリーベ!」

なんというコードギアス 反逆のルルーシュ臭。さすが大河内。
ただ、コードギアスルルーシュとスザクと違い、ゲインは高貴な2人で世界を変えることを「甘いんだよ!」と吐き捨てる。二人で野望の王国を作ったところで大衆の集合体は動かんという事を、世界中をフラフラしてエクソダスを請け負ったり失敗させたりしてきたゲインは骨身にしみている。
神という集合無意識にギアスで祈るオーバースキルは持っていない。
貴族が責任を持って、ギアスで他人を動かすのでは、真のエクソダス、つまり大変動後のシェルターからの復帰はできない。
ゲインと同じ貴族であるアナ姫も、ヤーパンの五賢人(四賢人)に「ミイヤの唱えた『エクソダス』というのは、『自らが動きだそう』という主張のはずです」と言っている。ここが、イオリア・シュヘンベルグの計画とは全く違う所。ミイヤは計画は立てない。主張する。応援する。だが、動き出すのはピープルだ。
シンボルは所詮シンボル。シンボルが同時に命令を下そうとすると、依存か専制となり、崩壊。(萬画キングゲイナーの失敗したエクソダスみたいな)
だから、ゲインはエクソダス主義者の総帥ではない。シャア・アズナブル総帥のように世界中のピープルを指揮するカリスマ=シャルレ・フェリーベではない。
あくまで請負人として、エクソダスの在る所に雇われてアドバイスとアシストするのがゲイン・ビジョウ。
むしろ、貴族は元々皆が動き出すための触媒って言うのが正しい立ち位置だったのも。ゲインが23話で「これはもうヤーパンのエクソダスだけじゃなくて、俺のエクソダスでもある」って言った時にしたことは「ピープルの前で歌を歌って心をまとめる事」だったからな。
ゲインはゲインでありながら、貴族の役割を再認識したのかもしれない。(ママドゥも「ご両親がお喜びになるでしょう」って言うし)
だが、それを「逃げる」と思うのがアスハム。アスハムは見た目はシャアなんだが、Zガンダムの時のアムロ(というかハヤト?)みたいに「君はカリスマなんだから、大統領として導くべき人だ」って言う意見。
エクソダスと言う制御不能の市民運動を、ミイヤ達太古の科学者の計画に沿って行なって、現在の社会の枠を捨てるエクソダスも「逃げ」だ。
そんな思いを込めて、
「シャルレ・フェリーベ!」
と、ゲインをシャルレに戻す呪いのオーバースキルを吐く。
その思いは、絶望。ゲインの力も、カリンの笑顔も手に入らない、自分の血筋では領主であるシャルレほどのカリスマにはなれない、なのに!その全てを持ったゲインはそれを世界のため、みんなのため、私のためには何故使ってくれんのだ!
私は何もできない!私は何もできないから、お前を動かそうと努力したのに、お前が動かないなら、私は本当に何もできない!
その絶望は、ドミネーターのオーバースキルを一気に爆発させた!
このブログではオーバーセンスルは絶望を原動力として、世界を無理やり変えようという中二病パワーだという理論です。
アスハムのオーバーセンスは、オーバーフリーズの悪魔、シンシア・レーンやゲイナー・サンガの絶望よりも一段低いと書いた。
絶望して、自分自身であるために世界に反逆をするのが悪魔の絶望。
アスハムは絶望した結果、自分自身を捨ててオーバーデビルに使われて安心している程度の絶望だったんだが。エンペランザに追い詰められて、ゲインとの戦いで自分のこだわりを再確認して再び絶望を爆発させた模様。
それは「オーバーマンに似合うオーバースキルが無ければな!」とアスハムに言い放ったゲインのエンペランザを圧倒する!
オーバーフリーズした右手の氷の鍵は、一度ゲインの銃弾(熱い触れあい)で融けたが、絶望で再凍結し、自在に変形する氷の爪となってエンペランザを刻む!
その威力はブリュンヒルデの腕の力を発動させなければ「アスハムのオーバースキルに叩きのめされる」とゲインを直感させるほど。


だがしかし、そのブラックホールはエンペランザもドミネーターも等しく飲み込む自殺兵器だった。
ゲインはおそらく、死ぬつもりだった。ゲインは前回オーバーデビルに射撃が通じなくて戦いを諦めて、絶望しかけていたし。まあ、激戦なので行動原理がハッキリとまとまっては居なかっただろうが、本名を呼ばれた時にふと、貴族の本能で「自分の命と引き換えに強敵を除く事ができれば良い」といおう気持ちがあったのかもしれない。
同時に、自分を絶望して殺そうとする親友の心に答えるためには自分が死んでもいいと思ったのかも。
シャアと二人でアクシズを止めようとしたアムロみたいに。
一瞬の事だろうが。


二人が互いを理想化して世界に立ち向かうと、心中。


で、コードギアス 反逆のルルーシュR2最終回ではその心中を世界中がテレビで見ていてくれて、メディア時代の英雄としての魔王ルルーシュとゼロによって世界の人々はまとまって、弱い人の福祉のために動く世界に成った。(まー、ゼロの中の人がいろいろシュナイゼルにさせてるからなんだが)
コードギアスの話も長くなるから、やめ。
キンゲです。
OVERMAN KINGGAINERでの、黒い王子と白い騎士の心中は、戦場の片隅で、アデットが忍者にキスしてたり、みんながチェルノボーグを自爆させようと工作してたり、ゲイナーとシンシアがサラを凍らせに来て忙しい時に、流れで済まされる。注目、無し。
しかも、心中覚悟で二人でブラックホールに落ちたつもりが、予想外のホワイトホールのようなものでゲインは命を拾ってしまっている。その上、シンシアとゲイナーにはゲインがホワイトホールも使いこなしてアスハムを倒したと思って対抗意識を燃やしたりする。
うわぁー。まぬけだ。


いや、違うか?死ぬつもりは無かったかも?
ゲインは領主だし、ブリュンヒルデブラックホールに消えた時もサラに「あいつはとんでもないオーバーマンだ。またどこかで、寝てるかもしれないな」
と教えていたしブラックホールラケットも使いこなしているから、アーリィミイヤテクノロジーに対する知識もあったか。
だったら、ホワイトホールもどきのおかげで死なないとは思っていた?でも、チェルノボーグに戻った時は一瞬だけだが呆けていたし、かなり分の悪い賭けであった事は確か。アスハムにも「終わらせるぞ!」って言ったし。
まあ、富野アニメはハッキリとした説明はしないから、最終判断はできんし、その必要も無いのだが。

やっぱ、富野アニメって心中や特攻で感動!って浄瑠璃やハリウッド映画っぽく見せるよりは「特攻ってそんなに大したものじゃないよ。間抜けで貧乏くさくて悲しい戦術に過ぎないよ」っていう物なのかなあ。


ゲインもそれは自覚していたっぽい。だからこそアスハムとの最終決戦で貴族の血を思い出させられる前は徹底して下請けの請負人とか、父親に成るのを逃げるとか、生き様全般で無責任なDQNのペルソナを被ろうとしてたっぽい。特攻はカッコ悪いけど、特攻をしたがる気分を自覚している。
だから、ゲインはゲイナー君に構いまくったわけ。
何度も書いたが、ゲイナー君が戦士として成長すればするほど、茶々を入れる。
ガンガランを助けるために地底で命をかけた時に「生きてたらデートなんていつでもできるんだからな」って、
シンシアがアガトの結晶に入ったのを追って、キングゲイナーが傷を押して乗り込んだら「お前は女の子を追いかけてるだけの青少年だろ」って、下世話なヤンキーっぽい事を言う。これ、タダの冗談じゃない。
ゲインも若い頃はキングゲイナーと同じく「エンペランザ=皇帝」っていう偉そうなオーバーマンに乗ってて、英雄願望を持っていたから、若い頃の自分みたいに生き急がないように、世界を放浪って言うかダラダラ生きていても何とかなってきた自分の感覚を、冗談めかしてゲイナーに伝えて、諌めようって言う兄貴っぽい気持ち。
そんで、ゲイン自身も弟分と組む事で、自分の世界に対する救国英雄願望を、もっと具体的な個人を助けるって言う相棒感覚にダウンサイジングして制御できてる。


つまり、このエントリで僕が何を言いたかったのかと言うと、同年代の王子が互いに同じ志を持つと暴走して自殺してしまうから、違う世代の兄貴と少年が互いに「あいつ、バカなんじゃないか、下品だ」「おまえの方こそガキだろ」とか「やっぱり自分とはちょっと違う考え」って思いながらも助け合う事で、相互監視って言うか違う視点で補い合えるんじゃないだろうか?
って言うことですね。
ただ、凡俗は「あいつ、バカなんじゃないか。もう話はしないし。大人は信じられない。最近の若者はバカ」っていう所で止まって思考停止のディスコミュニケーションになってしまうのが多いんで、難しいなあ。
ケンカしつつ、破局はしないでっていう方向に持っていくにはどうするか?
あ、それはオーバーヒートの所で書きます。


ちなみに、ゲインに負けてホワイトホールでリマン・メガロポリスまで飛ばされたアスハムとドミネーターは、徹底的に「自分は何も出来ない」と思い知って、その絶望によって、自ら凍った。オーバーフリーズでは逆に氷が溶けたのだから、自分で勝手に凍った。
っていうか、アスハムがゲインに「シャルレに戻って動け!」って言うのは「私は動かない!」って言う主張に他ならないので、つまり、アスハムは元々やる気はあんまり無い人だったのかも。ただ、世界の裏シナリオやシャルレの血と才能に夢を見たり、カリンがゲインに寝取られたという復讐ドリームに酔って突撃していたからセントレーガンの特務大尉にまで上り詰めただけで、本当はオーバーデビルとの最終決戦ではずっと寝ている程度のお兄ちゃんだったのかも(笑)


あと、ゲインとアスハムをルルーシュとスザクになぞらえて書こうとしたら、流れでアーリィミイヤはガンダム00ソレスタルビーイングイオリア・シュヘンベルグに似てるということも書いた。
補足すると、イオリアガンダムマイスターの意志に世界の運命の一部を任せて、計画に幅を持たせてるような感じで、ミイヤもピープルが自分で動き出す事を重視してると思う。むしろ、機動戦士ガンダム00イノベイターヴェーダの演算する計画で「この時期になったら武力介入」「この時期になったら情報流出」と細かく決めるよりも、もっと無責任に「ピープルが周りを見て自分で再生したくなったら、エクスダスをしてもいい。自分で動け」っていう主張だけを投げっぱなし。
アデット先生も自主性を重んじる投げっぱなしの先生だったけど、実は、キングゲイナーの作品世界の基本原理はアーリィミイヤという投げっぱなし女科学者にデザインされてます。
どっひゃー!


あー、なんか、日本橋ヨヲコ極東学園天国を思い出したなー。
「学生はクズで無気力で何にもしないけど、何にもしないのに飽きたら勝手に動くだろ」とか、なんかそういうセリフがあったっぽい。手元にないからうろ覚えだが。
つーか、キンゲって世界レベルで森田療法をしてたの?
あーーーーー。やっぱ白富野って娯楽作品と見せかけて、根底には精神的治療っていうか元気になる方法みたいなものがあるなあ。
富野監督に「鬱病を治すコツは?」って聞いたら「コツなんてありません。ただ、家族には支えられた。鬱病の後は人との関係を求めるキャラクターを書く事にしたし、悪役は独善だとする癖が付いたと言う自覚症状があります」って答えてもらいました。
けど、そういう原理原則で作られた作品を読み説いたら、結構細かい元気になるハウツーも在るかも?
いや、まあ、普通の視聴者はオープニングで充分元気になるものだろうけど。俺はココまで自分で説明しないと元気にならないか!一からか!一から説明しないとダメか?!
でも、監督は「これは僕の場合だから、みんなに当てはまるハウツーだとは思いません」って投げっぱなしです。勝手に治れ。鬱病


と言う訳で、サラ、シンシア、ゲイナー、シャルレ、アスハムの順に絶望してオーバーフリーズなる背景を、アニメで説明しない分ブログでクソ細かく説明しました。
次回はついに、凍ったままの人が何をして、結果としてどうやって氷が溶けたのかを述べて、長さがつりあえば次回でキングゲイナーのクソ長い感想を終わってクソして平穏に暮らしたい。
でも、キンゲって富野ファンの間でも「面白いけど失敗作」っていう意見があったりするので「ダメな部分もあるけど、いい部分も在る!」と言いたい。
まあ、うん、ダメな部分もあるよ・・・。そういうことも書いたし・・・。
とりあえず、思いついたことは説明したいので、書きます。やっぱり、書きたいことを書くとすっきりするな!新年一日目からアニメ感想で徹夜とかダメ人間過ぎるけど!
大人はこういうことを思いついたら、ガンダムバーに行ってマスターに語って聞かせたらいいのか?それは、ブログで書くよりも時間は短くて済むのか?



つづく!


アスハムとゲインはおっさんだから心中しても美しくない。魔王ルルーシュは美形高校生だから成立した。っていう結論かな?美しさは罪〜(笑)

*1:富野は好きだよなあ